つれづれ 

理性よりも 恐怖が優先される それがあたし 。
其れがいいとは思わないけれど
其れこそ 脳味噌が
理性を優先しろって叫んだって
恐怖は 悠々と 理性を追い越して
いつだって 理性より 上にいる 。

そんなんなら なんのために
あたしの理性は あるの ?
いくら 冷静に 何かを 理性で考えようとして
必死こいて 固めた 考えや スタンスが
小さく揺れる 恐怖に 揺さぶられて
あっけなく 崩壊する  。

冷静でありたいんだ 穏やかでありたいんだ 。
落ち着いて居たいんだ 柔らかくありたいんだ 。

何度だって次こそはって 誓ってるんだ 。
そうありたいって 願ってるんだ 。
もう二度と 荒れないって 意識してるんだ 。

恐怖心を憎んでも 一朝一夕に
変われる訳じゃないんだって
ちゃんとわかってる 。

ね そんなことは
理性は 解ってる 。
あたし 解ってる 。
解ってる 。

解ってるけど
解ってるってことに意味は無い 。
気持ちが付いていかないなら 意味は無い 。
解ってる内容に
気持ちがついていけないなら 意味は無い 。

あたしは 恐怖心が憎い 。
人一倍強い 其の不快な感情が憎い 。

だけど
自分の内側の感情を憎む事は
自分自身を 余計に
不安定にさせることをあたしは知ってる 。
余計に 自分を恐怖心に
侵されやすくする事を あたしは知ってる 。

堂々巡り堂々巡り
恐怖心を憎んで 恐怖心に囚われ
不安定を憎んで 不安定に囚われ 、
抜け出せない迷路は 誰が作った
抜け出せない迷路は あたしが作った 。

堂々巡り堂々巡り
抜け出したいあたしが 何度でも
あたしの足元に 迷路を掘る
抜け出したいって泣きながら
抜け出せない迷路を 自分で掘る 。

堂々巡り堂々巡り
自分で掘ってるなんて あたしは知ってる
あたしが掘るのを やめたなら
抜け出せるんじゃないかなんて
なんとなく 感じているって言うのに 。

何をやってるか なんて
あたしの理性は知らない 。
あたしは 感情に 翻弄されているだけ
何をやってるか なんて
あたしの感情は 答えてくれない 。

『あたしは 感じるだけ 暴走するだけ
 答えたりなんて 元々 しないようにできてるのよ
 分析するのは あたしの役目じゃないんだから』って笑う 、
あたしなのに あたしにもわからない
あたし自身の 感情 。

あたし自身の感情なのに
あたし自身に解らないなんて
あたしが あたしである意味なんて
無いんじゃないかしら 。

もしあたしがあたしじゃなかったら
あたしの感情は もっときちんと
理解してもらえたかしら 。

あたしの感情は
あたしのことが嫌いなんじゃないかしら
自分の感情なのに 理解できないあたしのことを
大嫌いなんじゃないかしら 。



関連記事
スポンサーサイト

[2010/03/15 23:39] 自分・人間・社会・言葉・コミュニケーション 等 | トラックバック(-) | CM(0)

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する