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『恥ずかしい』とか『みんなとあたし』とかの徒然。 

徒然草的ななにか。



『おんなじ世界に生きていない』
そう感じて、太くて深い線を、
がりっと引いた。

あなたにあたしは、わからない。
あたしにあなたは、わからない。

あなたの生きる『みんな』の世界。
あたしの生きる『***』の世界。



かつて、あたしを拒絶したのは『みんな』の方で、
幼いあたしは、『世界とはそういうものだ』と、
まっさらな気持ちで、素直に学習した。
『世界はあたしを否定し、拒絶するもの。』
幼い日のいくつもの経験が、その学習を強化した。

『みんな』が、
ともだちとの遊び方を学んでるとき、
あたしは、頭の中に物語を作ることを覚えた。

『みんな』が、
会話のしかたを学んでいるとき、
あたしは、周りの声を聞こえなくする方法を見つけた。

だからあたしは、
『みんな』のようにはうまく遊べないし、話せない。



裸で外に居ることは恥ずかしい、って気持ちは、
どこで学んだ?

あたしは、ちょうどそれを学ぶ寸前くらいに、
インドネシアに住んでいたの。

インドネシアでは、老若男女問わず、一緒くたに、
川で水浴びをするような文化があったんだ。
あっちでは、それが普通だったよ。

『恥』の感情は、文化に依存する。

あたしには、水泳の授業で着替えるときに、
男女で分ける意味も、
身体を隠す意味もわからなかった。

ルールとして理解はできたよ。
でも、周りのひとと恥ずかしさを共有することは
できなかったんだ。

感情。
学んだだけの『恥ずかしい』って気持ちが、
悲しいとか嬉しいとかの感情と並立だとは、
どうしても思えない。
どうしても、どこか純粋さに欠ける気がする。

普通を装うために作られた感情?
犯罪から身を守るために学ばされる感情?

あなたの『恥ずかしい』は、本当に感情?
それとも、本当はもっとちがうもの?



社会を画一化しようとする何らかの意志
(例えば多数派が自分を生きやすくするための方法)が、
この世界の土台にあって、
『あまりそうすべきではない』
ってその意志が決めたことを、
どうにかして人間に守らせるために、
作り出された感情(?)とか、そんな風に感じる。

でもその意志がたとえば犯罪に巻き込まれないためにとか、
それは確かに間違いではないし、
むしろ優しさなのかもしれないのだけど、
そうしたら、もちろん憎むべきものではないのだけど、
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