しろねこさんと くろねこさん。 

しろねこさんとくろねこさん

しろねこさんと くろねこさん。
あたしが ここのところ 毎日身に着けて
バイトしている ねこさんたち。

彼らには 役割がある。
全ては 設定だけど 設定上の 役割。



しろねこさんは おとこのこ。
くろねこさんは おんなのこ。

しろねこさんは ななさい。
くろねこさんも ななさい。



しろねこさんは
あたしのあたまに ついていて
まわりのじょうきょう
(おもに じぶんがどうすべきかっていうことが
からんでくるようなこと)と
あたしの げんどうを
いつもみつめている。

しろねこさんの くれることばは
「だいじょうぶ」と「がんばれ」



くろねこさんは くびにまいた てぬぐいに
ついていて

あたしじしんのこころと
まわりのじょうきょう
(おもに きけんかあんぜんか)を かんししている。

くろねこさんの いるばしょは そのときによって
バイトさきの エプロンのしたの かくれたばしょか
エプロンのそとがわの よくみえるばしょかの
どちらか。



あたしが ちいさいことでも
おおきく どうようしてしまうようなとき
せかいやまわりが
きけんなじょうたいにあるとき

あたしは エプロンのしたに
くろねこさんを そっと しまいこむ。
くろねこさんは そんなとき あたしのこころと
しっかりてをつないでくれる。

こころには くろねこさんが ついていて
しっかり てを つないでいてくれるから
こころを くろねこさんにあずけて
げんどう や ひょうじょうは
しろねこさんと てをつないで
しろねこさんに あどばいすをもらいながら
ひつようなことを ただ がんばる。

ひつようならば ちゃんとわらうよ。
わらうちからだって しろねこさんが
おくってくれる。
それがひつようなら かならず。



ひかくてき だいじょうぶそうなとき
あたしは えぷろんのそとがわに
くろねこさんを かざる。

こころと げんどう が
いっしょに そとがわを むいている。

しゃかいを せかいを
そのにおいを かんしょくを
こころと げんどうと
くろねこさんと しろねこさんが
みんないっしょに かんじている。

かなしいことも つらいことも
こころが かくれていないぶん
つよく ひびいてくるけれども

うれしいことも たのしいことも
そのぶん ひびいてくる。

おおきく かんじることを
じぶんにゆるしても
だいじょうぶそうなとき。
あたしは そうすることができる。



くろねこさんのばしょ。

エプロンのしたの みえないところは
あんぜんせいの しょうちょうで

エプロンのそとがわの みえるところは
あたしがたしかに あたしのままで
しゃかいにいる っていうことを しめしている。

そしていつでも こころ をしょうちょうする むね のそばについている。
エプロンのしたに かくれているときでも
エプロンのそとがわの
みえているばしょに ついているときでも。

しろねこさんのばしょ。

いつも そとがわをむいていて
ひょうじょうや ことばのかんけいする かお のそばについている。
そして まわりをみてはんだんする あたま についている。



付いている ばしょは ついている(寄り添っている) ばしょ。
しろねこさんが くろねこさんが
よりそっている ばしょ。
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[2014/06/10 10:38] 自分・人間・社会・言葉・コミュニケーション 等 | トラックバック(-) | CM(0)

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