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大人を許せるような気がした瞬間 

あのねのね 不思議なことがー
なつきさんといえば 不当な大人嫌いで有名ですが(ゑ?
・・・今日ふと 許すというかなんと言うか・・・
同じ人間なんだよなぁ、と思いました
もしかしたら 生まれて初めてかもしれません
工エエェェ(´д`)ェェエエ工工

なんていうのかなぁ・・・子供に偉そうなこと言ってる 大人とか
そんな方々のこと わかるような気がしたのです
なんかね この旅の中での想いとして 相手の感覚はどうなんだろう 
って考えたのですよ
そうして出てきたのはね 
子供が 『大人に見放されることは 死をも意味する』 と同様に
大人が 『子供に尊敬されなくなることは 恐怖である』ような気がしました

大人って 強くないんだよね 
大人だからって 何か超能力が与えられるわけではないし
それでも 年相応の 責任とか 負わされるわけですよ・・・
大人なんて 誰も呼ばれたくないのかもしれません
呼ばれたくなくても 年月が巡れば 
大人と呼ばれ それ相応の目で見られざるを得ない
嫌でも 苦しくても それはシステムとして そこに存在するわけです

また 社会の風潮というかなんと言うか・・・
大人は 子供に尊敬されるのが当然 そうあるべき
そんな空気があるように思います

大人は みんな偉そうだと思っていたあたしは 
見事に社会の風潮に流されていたのかもしれません
そうあるべき そうあるべき そうあるべき・・・
かもしれません
でも その人間を 大人かどうか見定めるのは 実は本人よりも 
社会の目 年齢という 画一的なカテゴライズなのですよね
本人が納得していなくとも 
社会がそう認識したら それを受け入れざるを得ない
少なくとも 日本社会では そうなのかもしれないと思い当たったのですよ
それに 真正面から向き合うことは 多大なエネルギーを必要とします
周りの目も 優しくはないことでしょう・・・

『自分は大人ではない 言われていいほどのものではない』
そう思っていても 言い切れる人は少ないのだと思うのです
むしろ 言われていいほどの自信もない のに
『自分の考えを真っ直ぐに主張することは 
 もっと勇気が必要だと思うのです』
ハイ 言ってしまえば できっこない気がします;
そこまでできる人間は むしろ強いですわよ
ついでに言うと 『責任放棄』としての 
うれしくないレッテルだって 貼られかねませんね

『自らを大人と認識できなくとも それを受け入れろ
 できなければ お前は落ち零れだ』
そんな社会の目がある此処で 自らの無能(?を主張できる人って・・・
そんなにいないのではないか と思ったのです


そこまで考え至ったとき 自分の考えていた 『大人像』というものが 
ガタガタ崩れていったのと同時に
同じ人間として なんだか 柔らかい気持ちになることができました
どうしてそう思えたのかは まだつかめていなくて 要研究(?だけど・・・
ふと 今まで憎んでいた 大人と言う存在・・・許せる気がしたのです
共感できるような気がした というのが正しいですか ね・・・

・・・今迄 遠い存在として嫌い 憎んでいたのですが・・・

1*其の根拠に もしかしたら 
恐怖というものが潜んでいたのかもしれなくて・・・
2*『偉そう』な行動に対する 侮蔑の意が含まれていたのですが・・・

1*相手(大人)って言う存在は ただ 強がっているだけで 
 しかもそれも望んでしているのではなく
 社会的にそうあるべきだから そうしているだけである
2*『偉そう』は そうしなければ不安であることと同時に 
 社会からそれを求められるが所以のものなのだ

こんな認識を 持った途端 
「なんだ ただの人間じゃん」という気持ちが心に溢れて
そこまで憎むこともないじゃん!と 吹っ切れた気持ちになりました


大人も人間なのですね・・・
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[2005/11/26 22:20] 自分・人間・社会・言葉・コミュニケーション 等 | トラックバック(-) | CM(0)

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