隠蔽される気持ち 

死にたい気持ちとか
攻撃的な気持ちとか
憎い気持ちとか
殺したい気持ちとか
あたしそういう気持ちたちが
かわいそうになることがある
*
それは
嬉しさや 楽しさと
同様の重さの
一つの 気持ちなのに
他者への 影響や
ただ 暗いことばだ
というだけで
隠蔽されてしまうことが
多いから
*
死にたい気持ちだって
ひとつの 心なのにね
攻撃的な気持ちだって
ひとつの 心なのにね
*
うまく 言えないけど
死にたい気持ちさんや
攻撃的な気持ちさんに
心があったとすれば
(言い得て妙だが)
ひた隠しにされる
自分
(それらの気持ちたち)が
とても
哀しいんじゃないかと
思うんだ
*
ひとりのひとの中に
同じようにうまれてきた
気持ち なのに
表現されるべき 気持ちと
隠蔽されるべき
気持ちがあるってこと
*
存在を 歓迎される 気持ちと
存在を 嫌悪される 気持ちと
はっきり区別される
ということ
*
そんなことを 思うとき
あたしは
そんな仕打ちに耐えて
尚もしっかり
存在し続けている
社会では 隠蔽されるべきと
思われているであろう
気持ちたちが
どうしようもなく
愛しくなる
*
普段は
あたしの中の
攻撃性や 恐怖を
あれほど
嫌っているというのにね(笑)
*
支離滅裂 矛盾だらけ
そんなの知ってる
そんなこと
今にはじまった
ことじゃないしね
ただ そんなこと
考えたりもする だけよ

関連記事
スポンサーサイト

[2009/10/10 11:26] 自分・人間・社会・言葉・コミュニケーション 等 | トラックバック(-) | CM(0)

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する