グラグラ 

体調は 良くないです。

夜うまく眠れないけど
生活リズムも崩したくなくて
だから ちゃんと起きてもいる みたいな。

勝手に治るだろ そのうち って
そう思いながら 待ってる。

昨晩も5時くらいまで寝つけず
それでも
午前中には起きて
家事はしてたよ。



昨晩は 不安定な感情がグラグラして
気持ち悪いから おえってして↓

だいすきな あなたが こわいです

それでも尚 落ち着かなくて
布団の中で ひたすら
グラグラするに任せていたのでした。

(フィクションとノンフィクション混ぜて誤魔化してるよ。
 誤解されないように書いておくと
 夫との生活が うまくいってないってことや
 喧嘩したってことじゃない。
 別のことでの 感覚の模写だよ。)



本当のところ 今でもグラグラしてる。
感覚が 広範囲的には閉じて
狭範囲的には 鋭くなっている。

視野を狭めて 精度を増している。
・・・そんな感じ。

警戒なんて する必要のない部分で
どうしようもなく 警戒してる自分を感じる。
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[2014/02/17 16:07] 日常 | トラックバック(-) | CM(0)

噂話 

守るための 様々な。
続 守るための 様々な。

で 書いたような 噂話。

あたしは そういうの苦手で
先の文章でも書いたように
自分自身が 情報を得ることに関しても 不得手なんだけど

勿論 自分の内情が あたしの知らぬ間に
適当に言いふらされることも 不愉快だ。

・・・でも 話せば 広がっていくものだし
どうしたらいいのか って考えたところ

結局のところ 話さなければいいのね
自分の大切なことや 気持ちについては
誰にも 話さなければいいのね

っていう結論に落ち着いて
事実 話さないようにしていたりしました。

で どうなったかってw
全く 当て外れな噂が 勝手に捏造されて
言いふらされる だけでした。

言い触らされない 噂を立てられない ってことは
どうやら 少なくともこの職場では 無理みたいね。

面倒くさい 本当に面倒くさい。



本当のこと 偽のこと
どっちを 噂されるのか

・・・そのどちらかを 選ぶ。

そのくらいしか あたしには
選択肢がないようです。

・・・多分 それは
あたしだけではないのだけどね。
みんな 何かしら言われてるようだから。



・・・言い触らされる 偽物の情報
その内容を 聞くたびに思うのは

・・・結局のところ 周りの人は
ちっとも 鋭くもないってこと
核心も ついてないってこと。

・・・適当なんだなぁ ってこと。

あたしだって その流れる 偽物の情報が
あたしが 伝えなかっただけで
多少なりとも 核心をついているのならば

『おお・・!すごい!すごくって 世界ってやっぱり怖い・・』

とか 思うのだろうけれど。

今のところ
1から10まで 的外れなんよね。

そういうことを 半信半疑であれ
噂し合うひとたち 不思議。
変な感じ。

世界も情報も 断絶しているんだなぁ って
感じる とても。



本当のことを 軽々しく扱われる 痛み。
完全に 的外れな でっちあげを
実しやかに 囁かれる 苦み。

さてさて どっちがマシなのかしら?



とりあえず 今のところは
誰かに 作られて
沢山の伝達のたびに さらに歪められたであろう
でっちあげが 勝手に伝播されていく方が マシなのかな

少なくとも あたしが大切にしたい あたし自身の『本当』に
触れられることはないのだから

そんなふうに 思っていて。



とりあえず あたしは今日も
本当を 何も伝えず
偽物が 勝手に伝播されるままに
任せておこうと 思っています。

・・・本当のことや 大切なことに
傷をつけることは 許さないのだから
土足で踏み込まれすことも 許さないのだから

偽物の情報を拡散されるとか
そんな くだらないことを
気に病む必要はない。

周りは みんな野次馬。

そういう風に
認識しておけばいいのでしょう。
[2014/02/17 15:29] 自分・人間・社会・言葉・コミュニケーション 等 | トラックバック(-) | CM(0)

続 守るための 様々な。  

ところで
あたしに そういう 小さな噂話
積極的には 話さないけれど
たまに ほんの少しだけ 話してくれる人は
他にも 少しは いるのだけれど

(その人たちは 多分普通に噂好きだし
 そういうコネクションも たくさんある感じで
 いろいろ 知ってるみたいなのだけど

 あたし自身が そういうのがあまり好きではなくて
 内容によっては 過剰に嫌がったりもするし
 あたしが その人たち以上の情報を持っていることなんて
 滅多にないから
 あたしと そういう話をすることが
 相手にとっても無益だっていうのもあって
 『あたしとは』そういう噂話を
 雑談の話題にすることは 多くはない

 ただ・・・少しはある って感じ。)

本当 それぞれ 別々のことをいうので
正直 あたしは そのたびに
ぐるぐる混乱してしまう。

殊に こういう話題においては
あたし自身が 最も情報を持っていない
という 自覚があるが故に
取捨選択をする能力も
自分には あまりない気がして
途方に暮れる。

どのひとも このひとも
『何も知らないあたし自身よりは 信頼できる』
と 思うので
『このひとの言うことは 信じない』なんて
切り捨てることもできない。

結局・・

『この人は こういっていた
 あの人は ああいっていた
 あたしには わからない』

そんな形で 終わる。



なんだろう あたし
自分で 選んで
そうしているんだと思うのに。

時折 自分が
そういう 噂話に疎いことが
とても 哀しい。

多分 此のバイト先での
他に人たちのする 雑談の
半分くらいは そういう噂話で
成り立っているから かな。

噂話に ついていけなくて
雑談に ついていけなくて

無理矢理 其処に居ても
気持ちが 拒絶反応起こしたりして

あーあ!
[2014/02/12 16:13] 自分・人間・社会・言葉・コミュニケーション 等 | トラックバック(-) | CM(0)

守るための 様々な。 

空気を読むことが 苦手なあたし。
周りを見ることも 苦手なあたし。

ほんの 小さな不穏さで
周りの全てに 身が竦む あたし。

竦んでしまえば あらゆる情報が
脳みそに到達する前に
シャットアウトされたりもする
酷く 臆病な あたし。



そんなあたしだから
お仕事に関しても もちろん不器用だし
人間関係 味方を作ることや
敵を作らないことも とても難しい。

だから 当然 トラブルも抱えがちだし
苦々しい目に会うことも 少なくはない。

そんなあたしの 自分の守り方は
自分の内側に
逃げ場を作ることだ。

自分の外側に 頼るものがない時でも
自分の内側に 自分にとって
心地よいと感じる音楽を流したり
あたしにわからない 様々な出来事について
つじつまの合う物語を作って どうにかして 納得することや
もしくは 現実とは完全に解離した物語を作って
一人遊びを始めることで
自身の安定を保つことだ。

現実が 苦しくても
自分の内側の 逃げ場に逃げ込むことで

あたしは たとえそれが朧げな形でも
あたしだけに通用する 柔らかな安定の中に
心を預けることができる。



そんなあたしだから
当然 職場内の 噂とか

誰かが 誰かを信じるが故に話したことが
話した誰かを裏切って
こっそりこっそり広まったのであろう
誰かにとっての 大切な話なんかには

本当に 疎い。



昨日 最近バイトをやめた後輩さんと
電話をしていたのだけど
後輩さんが バイト先
(後輩にとっては元バイト先。あたしにとっては現バイト先)の
いろいろな噂話を 聞かせてくれた。

正直なところ あたしには
ちっとも解らない話ばかりだった。

後輩さんは
『本当に あなたは何もわからないのですね。』
って 言ってた。
あたしは本当に 解らなくって
『へー そうなんだー。知らなかったー。』
って 答えてた。

本当に 解らないから そう答えた。

少し 淋しかった。
あたしには そういうことが
ちっとも見えないこととか
『あなたには 何もわからない』なんて
言われてしまうことが 惨めで悲しかった。

そして その噂話自体
人の作意や悪意なんかが渦巻くような内容で
あたしは 普段からそういう物事に
触れてなくて 慣れていないからだと思うけれど
結構聞いてて ショッキングだった。



あたしにとっては 耳を塞ぎたくなるような内容
聞いてて ほんの少し 追い詰められながら

(・・・それの どこからどこまでが
 本当なのかなんて わからないけれど)

あたしは
後輩さんは いろんな情報を 必死で集めて
それを フル活用して
自分を守ろうとしているように 感じた。

・・・後輩さん。
実際に 関わった感じ 繊細な人なんよね。

器用な意味で 周りの空気を読む というより
・・・周りの空気に怯えている という感じ。

怯えているから 読んでいる。
消耗しながらも 読んで 合わせて
やっとのことで 其処に居られる というイメージ。

傍から見たら あたしなんかより
器用に上手に 周りとやってたみたいだけれど
そうすることが とても大変だ 苦しい という気持ちを
吐露したことも 何度もあったし。

(ただ あたしは そういう器用なことができなかったから
 なんだかとても 疎外感を感じて
 そういうグループからは 逃げ出しちゃったのだけど)



・・・そうすることで 自分を守っている。
それも きっと 結構なエネルギーを消費して。
そうしないではいられなくて それを繰り返すことで
それに関する 能力を上げていく。
(勿論 元来の能力や 適性もあるんだろうけれど)

・・・なんだか 結局
同じ穴の貉な感じしか しない。

自分の守り方が 違うだけな気がする。

情報を集めて 空気を読んで必死で合わせて
現実世界で 周りに好かれるように振る舞うのか
どんな状況下にあっても 空想を以て
自身の安定化を図ろうとするのか

そして かつて選択した その方法が
その 選択手を 育てていく。

情報や空気を選んだ誰かが
その手段に関して 長じていく。

空想を選んだ誰か(あたしはこっち)が
やっぱりその手段に関して 長じていく。



どっちが 優越なのか 劣等なのか
どっちが 汚いのか 綺麗なのか
そういうことは きっとなくて。

あたしも 後輩さんも
自分を守ろうとして なけなしの選択肢を
選んだ結果が これなんじゃないか と
あたしは 思っていたりする。
[2014/02/12 16:11] 自分・人間・社会・言葉・コミュニケーション 等 | トラックバック(-) | CM(0)

『わかるよ』 

あたしは
わからないものを わからないと言うことが
相手への誠実性であると思っていた。

わからないものを わかったふりするのは
その後 それがばれた時に
とても恥ずかしい想いをするものだし
相手を騙す行為にも当たる。


そして 今思っていることを伝えるとき
『あたしは』『今この瞬間には確かに』と
限定することは その言葉の確実性を
高めることだと思っていた。

あたし以外の人間なら
別のことを思うかもしれないし
あたし自身だって 明日は
同じ考え方をしていないかもしれない。



でも 現実
少なくともあたしの住む範囲での社会では
わからないものをわからないと言うことは
相手に 見くびられることに繋がり

『あたしは』『この瞬間には』と限定することは
その発言自体の 信憑性を薄れさせるようだ。

悲しいくらい 逆効果。

あたしが 伝えたい形には
相手には 伝わらない。



正しいこと 確実なことだけを 伝えようとして
わからないことを わからないと伝えていた相手が

『あたしのことを 頼りないひと』
として
『わかってるようなひと と
 わかっているようなはなしをしに
 はなれていったり』

解ってる って顔をして
あたしと 話していたはずの人に
少し内容 確認してみたら
全く 反対のこととして 受け止められていたり
終いには
『あなたの言うことなんて 全然わからない!』って
きれられてしまったり。



そういうことがあったの。


あたしが 伝わっているか自信がなかったから
『伝わるかどうかわからないけど』って
注釈した上で 話をしたら

相手が『わかる 伝わってるよ』
って言うから

そのまま会話を続けて

あたしが『ん?』って感じることがあったから
少し突っ込んで聞いてみたら やっぱりずれていて

あたしが
『あなたは わかっていない
 ○○は ××ではなく △△だって あたしは言いたいの』
って 言ったら

相手に
『あなたの言うことなんて 全然わからない!』
って言われる っていう。

ああ 具体的に説明しようとしたのに
結局ただの繰り返しになってらw



なんというか 世間のひとの多くは
あたしよりも 簡単に わかっている と
いいがちで

その わかっている を
何処まであてにしていいか
よく わかんないな と思う

そして 確認し合うこともなく
上滑りに見える『わかるよ』を
伝えあう 二人が

わかっている と言い合うこと そのもので
関係性を 確認しあってるみたいな
そんな風にも 見えるよ。



解っていなくても『解るよ』って伝えるほうが
社会では 優しいのよ。
そして きっと 好かれるのよ。

でもあたし 誰かに そんな嘘つかれるの 哀しい。
そして あたしが誰かに それをするのは
相手を軽んじているようで やっぱり哀しいよ。



でもね どんなにあたしが
やっぱり 哀しい なんて
言ってみたところで

外側から見てみれば
あやふやなままでも
『解ってるよ』って
伝えあっている人たちの方が
繋がりあってるように見えるし

そうそう あたしのようには
関係性が 脆くもないように 見えるんだよ。

(あたしは 大分 人間関係
 破綻しやすいタイプです。)

あたしの 価値観がどうあれ
あたしの 感情がどうあれ

現実として
そういうことになるのだとしたら
ずれているのは きっと
あたしの方なのだろう と
思わなくもないです。

感情はもちろん もやもやするのだけど。
あたしの感覚は 悲鳴を上げるのだけど。



解る っていうことを
『言い合うことの価値』を
あたしが よくわからないために
軽視しているためなのかもしれないです。

それの 精度の問題ではなく
『あなたを解っているよ』って
伝えることだけの 価値。

そういうものが あるのかもしれないって
少し 思う。

確認することも
精度にこだわることも 超えた先での
『言い合うことそのものの価値』



あたしも 少し そういうのを知って
それを 使いこなせるようになることは
意味のあることかも とも
少しは思うのです。
[2014/02/03 15:26] 自分・人間・社会・言葉・コミュニケーション 等 | トラックバック(-) | CM(4)