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相手が ひとり ふたり さんにん 

相手が ひとり のとき
あたしは 自分が 相手と
どう関わっていいか
比較的 よくわかる。

相手 ひとり と あたし
あたしが みつめるのは
それだけでいい。

あたしは 相手がひとりならば
比較的 上手に見詰められる。

解釈も 対応も 心を注ぐのも
然程 頑張らなくてもできる。

あたしは 相手が複数になると
突然 どう関わっていいか
解らなくなる。

やること自体は
ひとりがふたりになったって
ふたりがさんにんになったって
同じなのにね。

でも 相手がひとりのときには
なかったはずの難しさが
相手が複数のときには
確かに 生まれていることを
感じるんよね。

それが 具体的に何かっていうのは
実は よくわからないんだけど。
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[2013/10/28 22:51] 自分・人間・社会・言葉・コミュニケーション 等 | トラックバック(-) | CM(0)

空気読めるんだって。 

空気読めない自覚のあるあたし。

でも 心理検査によると
『空気読む力は平均よりずっと上』なんだってさ。

でも やっぱり 読めてない気がするし
それでも 能力的には読めるはずとして

『今現在 読めてない』『能力的には読める』
その両方が 正しいんだとすれば

もしかしたら あたしが空気読めないのは
トラウマとか 嫌悪とか
何らかの 心理的な理由なのかしら?

例えば 低い能力のせいってことにして
それを 言い訳にして
『空気なんて 糞喰らえだ』
っていう気持ちを 誤魔化して
隠しているんだとしたら?
そんな風に 考えて

『空気なんて 読むもんか』
『そんなもん 大嫌いだ』
って 思うような出来事
今までになかったかしら
あったとしたら その時の感情は
きちんと 昇華されているのかしら なんて
自分で 自分の記憶やら
見直してみたら

嫌になるほど 生々しい
ぐちゃぐちゃの 未解決の感情が
『社会や空気を憎む 未解決の感情が』
あたしの中に いくらだって
残っているのを感じて



嗚呼 あたしね
空気 読めないのではなく

その他の理由が やっぱり
あるのかも しれないなあ。
[2013/10/28 00:49] 自分・人間・社会・言葉・コミュニケーション 等 | トラックバック(-) | CM(0)

考え過ぎ 考え無し 考え足らず 

ぐるぐる いろんなことを考えていて
周りの人たちに それを話した時
『考え過ぎ』って 言われる事がある。
『他の人は そこまで考えてないよ』
って 言われたりする。

そう言われたとき あたしは
そうかもしれないなぁ って思う。
確かに あたしと同じくらい
ずーっと ぐだぐだ 考えてしまう人は
そんなに 多くないように見える。



でもね あたしね 思うんだ。

いくら 他の人より
長い時間 考えていたって
いくら 他の人より
深刻に 考えていたって。

多数決で 勝てるような
社会的に YESとされるような
そんな考えに 辿り着けなければ
どうしたって それはね
『考え足らず』とか『考え無し』
っていうことに なるんじゃないの?

考える っていう行為を
どれだけ長く どれだけ深刻に
やったかどうかなんて
ほとんど関係なくて

辿り着いた答えや
それから導かれる言動が
社会や 多数の人間の思惟と
噛み合ってるとき

ようやくそれは
『ちゃんと考えている』って
認められ得るんじゃないかなあ。



そういうこと 考えてるとね
あたしは 人が数分で導く答えを
数日 数か月かけて考えても
解らないことがあるけれど

それだけの間 考え続けたって
多分 あたしは依然
考え足らずか 考え無しのまま。

例え あたしが あたしなりの答えや
其処から何らかの言動を
導くことができたとしても

辿り着いた答えや
それから導かれる言動が
社会や 多数の人間の思惟と
噛み合っていないなら

多分 あたしは依然
考え足らずか 考え無しのまま。
[2013/10/28 00:32] 自分・人間・社会・言葉・コミュニケーション 等 | トラックバック(-) | CM(0)