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悪夢 



とても怖い夢を見て目覚めた
二度寝から(笑)

気持ち悪い
小さな生き物たちの入った
水槽の中を洗っていた

水槽を洗うために
魚とも昆虫とも爬虫類とも似た
でも
どれともはっきりとは
同じではなさそうなそれらを
一旦水槽から出したり
戻したりする作業が
一番つらかった

つらいというか
触れるのが怖かった

でもやめたいというと
其処にいるだれかに
言い返されてしまうんだ

「お前が好きで
飼い始めたんだろう
最後まで責任持てよ」

感情が爆発して
発狂しそうになりながら
あたしはその水槽に
手を突っ込み
その何かを移動させて
空になった水槽を
ガシガシガシガシ
タワシで擦る

そしてまた
戻すんだ

触れるたびに
苦しくなるそれを



★★

ああ そういうことなのかな



なんとなく
少しだけ 自分の中の
怖さの正体を
再確認した 気がする



★★★

夢には いつも 感謝です

あたしはあたし自身が
何に どういう形で
何を感じているのか すら
わからないことが
結構あるからね

夢の内容は
特に起きた瞬間 体感する
感情の残りカスは
あたしのうまく感じ取れない
あたし自身の感覚の手がかりを
残してくれる

そして どこか
夢を見る前よりも
具体的になった
[感覚]は
あたしをどこか
楽にさせてくれるし
そうでなくても
感情への対処法の
ヒントをくれる



★★★★

で 再確認できた感覚とは何か
って

ほぼ 夢にみた通り
捻る必要は何もなく

地震も その被害の有り様も
原発の事故についてのことも
放射能というもの自体も
水や野菜や魚たちに
影響が現れていくということも
疑わしい情報に
脳味噌が占められていく感覚も
一喜一憂する自分の感情も

あたしには 多分
その 生き物のようなもの
なんだろうな

そういうこと

うまく説明できないや
難しい

★★★★★

あたしは 基本的には
自分がすむ場所も
行動も
生きるということも

自分で選択しているのだと
思っていて

([偶然の連続さん]が
あたし自身よりも
大きな力を持つとは
考えているけれども)

あたしは電気を使用することを
自分で選んでいるのだから
完全に 原発が
他人事だということもできず

此処が地震が頻発する
日本だということを
知らない訳でもなく
此処に住んでいるのも
結局あたしの選択で

情報はあたしが
望んで取り入れて

自分の揺れやすい感情が
不愉快でも
其れを殺さないのもまた

そしてあたしは
自分の命もわりと
自分の好きにできると
思ってるから
生きてるってことすらも

そういうことだ

あたしは自分の意志で
そいつを飼っている
選んでいる

([偶然の連続さん]には
敵わなくてもね

ちなみに災害や犯罪や…
あたし自身の力では
支配できないいろんなことを
偶然の連続さんと呼んでます

たとえばあたしが
今此処にいるのはあたしの意志
原発が福島なのは
偶然の連続さんの一部

そして他の誰かの意志も
偶然の連続さんに含みます

その人がそう考え
行動するということは
あたしには支配できず
そしてその人が
そう考えるかどうか
ということが
あたしには
わからないという時点で
あたしにとっては
偶然との違いが
うまく掴めないからです)

★★★★★★

あたしは
数々の選択の果てに
其れらを飼っていて

飼うことを
放棄しないことすら結局
あたしの選択に他ならない
(生きることも此処にいることもだ)

怖くても 気持ち悪くても
混乱に翻弄されても


うん
きっと

どんなにいろいろ
考えたり自覚しようと
試みたって

あたしは
怖くてたまらないみたいだ(笑)

★★★★★★★

気持ち悪い は
多分 その姿がなんだとか
関係ないです

虫も爬虫類も魚も
あたしは好きです

ただ 嫌悪感や恐怖を
感じさせる象徴のような
何かが

夢に必要だった
だけだと思います。


★★★★★★★★

自分を恐怖する人間が
水槽の中に 人間を見ても

それはそれで
おかしくないんだと思います

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[2011/04/08 12:02] | TB(0) | CM(0)

no title 

哲学ものの
読書を続けている
解らないままでも
読んでいる

普段の生活で
何かがわからない状態が
あたしの中に混乱を生む位
不快なはずなのに
不思議と 不快じゃない



なんとなく
小さい頃を思い出す

小さい頃 あたしの母は
あたしや兄を
よく図書館へ連れていった
インドネシアにも行く前
つまり五つよりは前の頃

あたしは 絵本を眺めながら
紙芝居を読んでもらいながら
ひとつひとつの言葉を
おはなしを
そして挿し絵を
どのくらい
理解できてたんだろう?

それでも ひらがなの
かたちのやさしさと
やわらかいさしえと
よんでくれるだれかの
おだやかなこえのひびきが
ここちよくて

あたしは 本にも紙芝居にも
好んで触れていた



いまのあたし
あの頃のあたし
どっちの方が
理解できてないかしら

そんなことを考えてると
なんだかすこし
笑えてくる

そして その
触れていた経験そのものが
言葉を覚えるための
ひとつの糧であったことを
思い出してみたりする



なんとなく ただいま
と思ってみる

ただいま 小さいあたし

イメージの中のあたしは
言葉の代わりに
笑顔を返してくれる

意味のわからない
言葉の音の中に

白い紙の上の
黒い文字や絵の中に
温度を 旋律を 呼吸を 感じて
意味が解っても
解らなくても
心地よくて愛しい



ただいま



解らなくても 楽しいよ
大人として正しい?読み方
ではないかもしれないけど

言葉は調べられるけど
哲学の世界の
言葉のイメージは
まだすんなりとは馴染めないの

頭が悪いのだといえば
そうなのかもしれないね

でもあたしは
わからないまま 楽しむの
さらさらさらさら
未知の世界に 触れて
飲み込んで

楽しみながら
試行錯誤しながら
あたしの中に
しみこんでいくのを待つのよ



しみこんでいくのは知ってるの
触れることを
試行錯誤することを
諦めさえしなければ

続けられるのも知ってるの
自発的に本を楽しむことを
諦めさえしなければ



自発的に楽しめなくなったら?

さあ そんなことまでは
知らないよっ
[2011/04/08 00:51] 日常的な徒然 | TB(0) | CM(0)