世界で一番 幸せな人生
生きてるって程でもないのだけど 。
職場では 叱られるのが
当たり前な生活 続いているけれど 。
何もかもが 手に入る生活
できるってわけじゃないけど 。
それでも 。
もしも あたしが 紙芝居読むの好きじゃなかったら
あたしの仕事は もっとつまらなかっただろうね 。
もしも あたしが 言葉を紡ぐのが好きじゃなかったら
あたしは自分の感情に いとも容易く
首絞められていただろうね 。
もしも 小学時代の あたしの近所に
可愛い子供達が居なかったら
あたしは 今でも 人を好きでいられたかしら
原点は あの時代にあるのに 。
もしも あたしが 歌うことが好きじゃなかったら
・・・彼に 会うことが あっただろうか ?
痛いことなら 山程よ
刻まれた傷だって 少なくはないわ
それでも あたしが 愛した数々は
あたしを 愛し返してくれたの 。
あたしの 人生
全てが 脳天気にはっぴーはっぴーとは いかないけれど 。
どれか一つの 『 大好き 』が 失われていたら
今より 少し もしくは とても 不幸だったと思うの 。
だから なんだか 誇らしくて とても愛しいのよ
あたしのたくさんの 『 大好き 』 が 。
沢山の 軌跡を 紡ぎ出した 『 大好き 』が 。
紙芝居を読むのが 好きだから
紙芝居なんて 苦手な状態のあたしよりは
より容易く 仕事がこなせるの 。
あたしは 子供が昔から好きだったから
小学校時分 学校に友人が居なくても
家の居心地 悪くても
愛せる 大切な子供達と
愛されうる 場所があったわ 。
朗読が 好きだったから
何かを音読することで 大学時代
自己制御の助けとする事が出来たのよ
(朗読することで
あたしは結構気持ちが安定したのよね)
歌については 結構多くて 。
今の 職場において 言葉でうまく 繋がれない子供との
架け橋をつないでくれたりするし 。
いろいろわからなくなってるおばあちゃんが
あたしが 童謡歌って聞かせたら
笑って一緒に歌ってくれて とても嬉しかった記憶もある 。
ちなみに 大学時代 思春期の女の子達と
仲良くなれたのは
大きな庭で 一緒に 合唱曲歌ってたからだわ 。
書き物が 好きだから
そこから繋がる 縁があって
昇華できる 自分の心がある 。
旅が好きだから
時たま 旅先で
大きな 驚きに出会えるのよ 。
甘いものが 好きだから
泣けない痛みに 出会ったとき
涙を流す助けに することができるわ 。
世界で一番
幸せなんて 言えないけれど 。
沢山の 大好きが
あたしの中に 溢れている 。
その大好きは 柔らかく笑って
あたしに 贈り物を 救いを
手渡してくれるのよ 。
人との 交流で
にこにこしてる だけなら
昔 と比べたら
大分 できるようになったけど 。
( 昔は 笑うのも 上手に出来なかったり
気がついたら 自分の世界に
潜り込んでしまったりしてた )
上手に 気を遣うとか 楽しませるとか
まだまだ そこまでは 届かないなあ
なんだかんだで
やっぱりあたし 無器用かしら
自分が 『できてない』
って わかるからって
『したほうがいいこと』
まで 分かる訳じゃなくって
分かるのは できてない事実で 。
そして 生まれる
『こんなにも あたし できてないんだから
当然周囲は イラつくだろうな
やな感覚 抱いてないかな』
という 思考の痛み
空気読めない子は
周囲に当然
好かれないものだと
そう 想うのだけど
自覚のある
『空気読めない子本人』だって
ちっとも 楽じゃないのよ
情けなくて 哀しかったりも するのよ 。
・・・って 自己弁護してみる 。