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『怒る』への言及 

人の器ってさ 容量ってものがあると思う
其の大きさってさ 実のところ みんなそんなに違わないんじゃないかなぁ
違うのは 割合だけなんじゃないかなぁ と思ってみたり・・・

これは あたしが昔から思ってきたことなんだけど・・・
例えば 『怒る』って言う一つの感情にしても さ・・・
怒る対象って 内容って 人それぞれ違うわけじゃん?
それは それぞれの人の 気質 経験 状況などに 左右されるわけだけど・・・
人それぞれが 違う人間である限り
全く重なるということが あるわけない
同じことを言われたって 怒る人と怒らない人がいる・・・
それでも 人間社会って あまり大波立てないで
うまくやってかなくちゃいけない
これ 結構難しいよね;
あたしは特に トラブルメーカーだから・・・

ちょっとしたことで怒ったからって
その人の器が小さいという理由にはならないと思うんだ
その怒った人は たまたま『その対象』に 敏感であった
ただそれだけのことだと思う
そして それは あたし自身にも言えること・・・
何か 小さなことで 傷ついたとして
そんな理由で 自分を責める必要は ないんじゃないかな
でも 小さなことで傷ついてたら
自分自身も苦しいし うまくいかないことも増えてしまうね
そして 相手を責め立てることだって 損だよね

『自分が』腹を立てたときは 分析を
『相手が』腹を立てたときは 思いやりを

『自分が』腹を立てたとき
あんなこという(する)あの子ってむかつく と思うだけなら
誰にでもできるし 進歩はないよね
もちろん それはそれでいいと思うけど
せめて それは
『完全に自分が見限った相手』だけにしないと もったいないと思うんだ
『完全に見限った相手』なら 触らぬが吉だと思うさ・・・
それよりも さ・・・
腹が立った理由を 自分に問いかけてみることで
自分自身に益があることもあります

いちばん良くある 『益』 それは
『傷ついている自分の発見』だと思います
人ってさ 一度 ずばっと傷つけられたりすると・・・
其の部分に触れられることに
極度におびえたり 反論したりしてしまうものだと思うのです
でも それって 逆から考えると・・・
『極度におびえたり』『反論してしまうこと』自体が
『傷へのヒント』になるんじゃないのではと思います
触れたら 痛いですよね 傷って・・・
でも 見ないでいたら 治らないと思うのです
いつまでも 其の傷を避けて
『極度におびえ』『反論し続け』ることが 幸せかといったら・・・
そうでもない気がします
だったら 傷が痛んだときに 其の傷を 敢えて見つめて
痛みを感じてみるのも 悪くはないかも

・・・あ 余裕のないときに 強がってやってみることは お勧めできません

傷を見つめて 分析して 悲しみを見つめたら
真っ直ぐ涙を流せば いいのではと思います
自分のために 精一杯 涙を流せばいいのではないでしょうか・・・
自分で自分を抱きしめるのも 慰めるのも ただですから
思いっきり 其の傷が痛まなくなるまで
自己弁護も 何でもしまくって 自分の傷に共感してあげればいいのでは
周りに 嫌なやつといわれようが なんと言われようが
自分で自分の味方になる と決めたら
それを貫けるものだと思います
なんせ 両方自分だから・・・
そして 大事なのは 其の期間だけは
自分は全面的に 『傷の味方でいる』事だと思います
傷が安心して 自分で自分を慰められるようになってからしか
自分も歩き出せない気がします

・・・あたしにとっての『地雷ワード』
これは どんな傷を意味するのだろう・・・
それは どうやって慰めればいいのだろう・・・
ああ わかっている 『存在否定』が あたしには痛いんだ
・・・でも いつもいつも『肯定』だけが木魂する 『安穏ワールド』で
生きる気は あたしにはない
『存在否定』は 実感がこもっていれば 確かに悪だけど
言葉だけに 簡単に傷ついているのは 損だ
いろんな人と接したいと思うならば 傷つきやすいのは 損だと思うから

・・・だって 好きなんでしょう?(これが全て
・・・好きなら 努力してみる価値はあるわな
・・・傷も 弱点も 見つけたときがチャンスです

自分との戦いって 楽じゃないけど・・・
最近は 戦うこと自体が 楽しくなってきました^^;
一つ一つ 発見して 実感して 何かが変わって
其の軌跡自体が とても楽しいです

さて では 『相手が』腹を立てたときは・・・?

・・・むむむ こっちはよくわからない・・・
・・・自分の振る舞いを振り返ってみる?

・・・あたし なんとなく距離置いちゃうことが多いです;
どう接していいかわからない・・・
嵐が去るのを待ってみたり
具体的に『何々が嫌』と言われたら 其の行動を避けるかな って感じ
あとは 接するのが怖くなって なんとなく距離置いて
そのうち 怖さが消えて ついでに執着心も薄らいで
距離が益々広がるんだけど 其の頃には何にも感じなくなってたり
まあ 其の頃には 相手にとってもそうなんでしょう

うむ・・・

『相手が腹を立てたとき』に関しては 掘り下げてみる価値ありと見た
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[2005/10/31 22:17] 自分・人間・社会・言葉・コミュニケーション 等 | トラックバック(-) | CM(0)

『普通』を求めて 

5月3日の記事を読んで 考えた
・・・あたしが 『普通』になりたくて 足掻いていた頃の 日記です

其の頃 人と話すのが とても怖かった
自分自身の発する言葉の一つ一つが 凶器になることが 怖かったんやね
・・・壊してしまいそう? 全てを無にしてしまいそう・・・か
・・・何を壊すのが怖かったの?
何がなくなるのが怖かったの?

今はもう なんとも・・・
結局 天秤にかけてみてさ・・・
自分が 自分に嘘ついて 普通振舞って好かれるより
別に嫌われても 自分のままでいたほうがいい
あたしは あたしらしさなんて知らないけれど・・・
でも 社交辞令ってあんまり得意じゃないし 好きじゃない

誰かに嫌われるのが怖くて 何も発せなくなるよりは
自分の好きなように言葉を吐いて それでも好いてくれる人と居た方がいい
(これは 『正論』でもなんでもなく あたしの選択でしかないです)
どう思われるか 怯えてるだけでは 当たり障りのない友達しかできないよ?
自分が作って接してる分 相手だって そうするでしょう・・・
ニコニコ笑って 優しい言葉を掛け合って・・・
もちろん 優しい言葉は大事だし 素敵だと思うけれど・・・

5月3日の なつきさん
あなたが こんなに怯えてまで 欲しかったものってなあに?
『綺麗な関係』ってものが(?)そんなにも欲しかったの?
じぶんが 『変わってる』『普通に人と接することができない』
って そんなに怖かったの?
あなたが求めてたような関係や 自分自身 容易に思い出すことができます
慕われる人間になりたかったの?
誰かを無意識に傷つけたりしない人間になりたかったの?

・・・ああ そういうものを 心から求めていた
かつてのあたしに エールを

あの頃の あたし もちろん 今のように 色々と社会不適応者だったけど
『雰囲気を守ろうとして』
『普通に話せることを求めて』
『自分の持つ刃におびえて』
ああ 今のように開き直り大王ではなく
もっと繊細で 一生懸命で 若かった ね

でも それ故に あらゆるものに怯えて
さまざまものに 縛られて
たくさんの物事に 不安を感じ
・・・幸せだった気が しない・・・(日記読む限りの話です

『普通になれば』・・・
普通と言う 現実にはありえない カテゴライズ
そんな幻を 勝手に夢見て ノックアウト(馬鹿
『普通になれば』・・・
いえ 求めても得られなかったばかりか・・・
其の幻の 味気なさや 薄さを 覚えてしまったよ

刃を握るのなら 責任を持てばいいじゃないか・・・
刃を振りかざすなら 振りかざさねばならない事情があるのだし
其の事情も そこに由来する弊害も 全て背負えばいいじゃないか

人を嫌えない?
嫌う必要が どこにあるんだい
一人になるのが怖い?
誰だって怖いよ
自己防衛?
否定されるべきものじゃないよ 誰でもしてるさ
臆病?
・・・人間一人 臆病で 困るのは 本人だけだと思うのです

いいじゃないか 自分のことくらい じぶんで受け止めてやんなよ
あんたはあたしだから あたしがちゃんと受け止めるよ
あんたが普通だろうが 普通じゃなかろうが
あたしは否定しないよ
別に じぶん大好きとかじゃないけどね
あたしは あたしという人間の 全てを背負うよ

嫌いにならなくて いいよ
残酷で 怖がりで 普通ができない そんなあんたを
あたしがちゃんと 見てるから さ・・・
[2005/10/31 09:28] 自分・人間・社会・言葉・コミュニケーション 等 | トラックバック(-) | CM(0)