FC2ブログ













ひとの言葉の扱い方 

あたしは、何故?を考えることには慣れているけど、
具体的にひとと関わったり、助言を受け入れたり、
相手の言葉を自分の中に素直に流し込むことには、
慣れていないな、と思った。

『自分の枠を越えない思索、試行錯誤。』

『他者の温度や他者の視点からの景色の伝聞。』
は、全く別物で、
恐らく扱い方の技能はまるっきり違うんだ。

その上、他者のものを受け取るためには、
あたしの持つフィルターを、通さなくてはならない。
警戒心のフィルター、世界観のフィルター、
他者というものそれそのものに対するフィルター。

たくさんのフィルターを通して自分の中に取り込んで、
其れの咀嚼、解釈を経て、
ようやく考えることができるようになる。

そのために、やたら時間がかかるし、
その癖知りたいことに関しては、
あたしはやたらせっかちだったりする。

そしてそれは、時々とても不便で落ち着かない。



不思議なのは、
他の人はそこまでではないような気がすることだ。

彼らは、どうしてあんなふうで、
あたしは、どうしてこんなふうなんだろう?
スポンサーサイト

自分に『何故』 

自分自身のいろんな問題全てに対応できる方法が、
『何故?』かもしれない。

何故、衝動的になってしまうのか。
何故、上手く眠れないのか。
何故、ちょうど良い距離が解らないのか。
何故、苦しくなるのか。

いま、ふんわり考えただけでも、
その理由は、あたしには浮かぶ。
自分自身のことだから当然というか、
考えることそのものに慣れているから当然というか。

理由が解れば、対処も解る、はずなんだ。
上手く其れができるかどうかは、
経験や試行錯誤が必要だけど。

選択肢 選択 

『あたしは、いろんな情報から遠い場所にいるな。』
と、いつも思う。
みんなが知ってる噂やらなんやらに、あたしは疎い。
関わるひとたちも多くない。

それは多分不便なんだけど、
その辺に明るくなろうとすると、
聞いてて苦しくなるような話や、
悪口なんかも耳に入ることになる。

多分、どっちか、しかないんだろうなあと思う。
聞いて苦しいことは聞かないで、
そうじゃない情報だけは欲しいなんて、きっと無理。

そうなると、あたしが情報に疎くなるのは、
まあきっと必然なんだなってなる。

どっちにも、ありがたいこと残念なことはあるよね。
選んだら、付随する残念なことのほうは我慢しないとなあ。

我慢して、しんどいことを積極的に聞くって、
選択肢を選ぶことはないもんな。
あたしは、そうだから、しゃーないな。

覚悟 

自分が自分を好きでいるのが覚悟なら、
自分が他の誰かを好きでいるのも、
自分が他の誰かの味方でいるのも、
同じように、覚悟なのかもしれないな。

あなたは、自分自身が好きですか。 


『あなたは、自分自身が好きですか』

割と、あたしはよくされる質問で、
もう十年以上前に、散々考えたことがある。

結論から言うと、あたしはあたしを好きでいるしかない。
好きでいなければ、正直生きていくことも儘ならないから、
あたしは、自分自身を好きでいると決めた。
感情ではなく、覚悟でしかない。

理由(下)

『あたしは、ひとに好かれない』

それが事実かどうかは知らない。
でも、あたしはそう感じて生きてきた。

所謂『普通の友達関係』のようなものに縁がなくて、
かつ、不安定な家庭環境に生きていて、
安定した人間関係を築くのが苦手で。

そんなだから、ひとに好かれる自信がない。
でも、好かれたい、というか好かれてみたかった。
経験が少ないから、よく解らないけど、
それは素晴らしいもののように感じるから。

好かれたい渇望と、
きっと好かれないという確信めいたもの。

そして、そのことが、あたしには、
とても恐ろしいことみたいに思えたんだ。

好かれないあたしが、
好かれたいと渇望すること。

ひとの気持ちなんてコントロールできないから、
愛して、愛して、なんて、
いくら訴えても無駄だってこと。



話の繋がりが見えないと思うけど、
それが全てなんだ。

ひとに好かれないあたしが、好かれたいと渇望して、
それを満たしたいならどうしたらいい?
どうしたら、あたしは救われる?

あたしにコントロールできるものなんか少ないよ。
好かれ方なんてわからない。
他者の気持ちは、他者の言動は、他者自身のもの。

コントロールできるのは、自分だけ。
自分のことだけ。



あたし自身が、
あたし自身を好きでいる覚悟をする。
世界中が敵になっても、
あたし自身が自分の味方でいると決める。

何故なら、あたし自身が好かれたいから。
味方が欲しくて苦しいから。

それを他者に期待するより、
自給自足する方がシンプルで確実だと思ったの。

好かれないあたしが、それでも好かれたかったから、
自分で自分を好きでいることにした。

『誰か、あたしを好きでいて』
なんて、不安定な祈りより、
シンプルで確実なものを足場にしたかった。

だから。



でも、最近、その覚悟が揺らいでる。
というか、前提が揺らいでるんだ。

あの頃のような、凍えるような愛情飢餓が、
いまのあたしにはないことと、
誰にも好かれないという確信めいたものが、
なんだか見当たらないってこと。

癒されていると言えばそうなんだろう。
楽になったといえばそうなんだろう。

あたしはもう、
自分で自分を好きでいることを、
自分に強いる必要が無くなっている。

そしたらまた、解らなくなったよ。



あたしは、あたしのことが好き?嫌い?

そして、あなたは?
あなたは、あなた自身が好きですか?
それは何故ですか?



http://hatenastory.blog.fc2.com/blog-entry-80.html

http://hatetete.blog.fc2.com/blog-entry-3334.html

さすがにこのくらい昔の言葉は恥ずかしいけど、根本は。
あたしにはそうするしかない、そう考えるしかないって感じだったなあ。
[2019/06/16 09:28] 自分・人間・社会・言葉・コミュニケーション 等 | トラックバック(-) | CM(0)

オーバーオールに。 



しかし、おちる?きっかけってなんなんだろう。
昨晩、お歌の収録のこと考えてたときは
普通だったのになー。



今日は、あまり使わなくなったオーバーオールに、
ぺったん!ぺったん!色々貼り付けまくって遊んでた。
材料は、レースとかリボンとか布切れとかその辺。
全部100均の、おうちにあったやつで。

針と糸は使わない。布の端の始末は、
切りっぱなしをほつれ止めで止めて、
それを、手芸用ボンドで、オーバーオールに、
ぺったん!ぺったん!



自傷行為の痛みで、生きてることを確認するとか、
そういう話ってよく聞く。

あたしも自傷してたことあるけど、あたしのそれは、
涙を流す代替とか、憎しみや衝動性の受け皿とか、
社会から逃げ出したい気持ち、切り離されたい気持ちの象徴とか、
そんな感じのやつであって、
所謂、生きてることを確認するためとかじゃなかったけど、
あたしは、其処は創作で確認していたから、
生きてることを確認せざるを得ない気持ちそのものは解るよ。



どんなに社会がわからなくても、世界が恐くても、
目の前に、増えていく作品は、あたし自身の分身で、味方。
そんな気がする。
孤立感みたいなものを少しだけ、和らげてくれる。

そして、あたしが居なければ、生まれなかったものがあるってこと。
それは、あたしがいま、あたしとして生きていることの、
確かな確認であり、証明になり得ると思うんだ。



荒々しく作り替えられていくオーバーオール。
其処に、確かにあたしがいる。
あたしの好みや世界観、そして、未熟さや幼さまでが、
全て、織り込まれて作り替えられていく。

あたしの欠片が、其処にある。
上手い下手じゃない、其処に確かにあたしがいるってことだけで。
それだけで、100%だ。

其処にあたしがいるよ。
あたしが確かに生きているよ。
あたしがいて、生み出されるものがあるよ。

あたしの中の、ひどく淋しい何かが、
ひとりぼっちじゃないんだって、ほっとする。



まあ!下手くそなんですけどね!

下手くそでいいのよ。どうせあたししか着ない。
誰かに誉めてもらいたい訳でもない。

そこにあたしの欠片があるだけでいい、
それだけでいい。

欲を言えば、
そのことを社会に否定さえされなければいい。
ほっといてもらえれば。








其所で、ほっといてもらえれば、なんて
言葉が出てしまうくらいには、
どうやらあたしはまだまだ危ういんだな、って、
今、自覚しました、、、

お願い、どうか、否定だけしないでね。
お願い、お願いね。

お歌の。 

最近、お歌の先生に、
そのお歌をおしまいにするときに、
歌ってミックスしてもらって、
ひとつの音源として完成させるようになった。
そういうお話を、ちょっとしたくなったので。

とりあえず、今まで三曲完成させて、
いまは四曲目。
千と千尋の神隠しの、いつも何度でもを、
次回収録することになってる。



千と千尋の神隠しでは、歌詞と歌詞の間の休符が、
割と場所によってまちまちで、ちょっとややこしい。

毎度毎度あたしは、
『此処は何拍、こっちは何拍』って、
懸命に数えて、ぴたりと入るようにしていた。

それは、不自由に対する感受性が人一倍大きいあたしには、
気持ちを解放しきれない窮屈さで、しんどいものだった。

先生が奏でてくれるギターを聴く余裕も持てずに、
解放されたい右脳を押し留めて、左脳を無理矢理使う感じ。



でもね、先週のレッスンで、ふと、
一生懸命数を数えるのを、やめてみようと思ったんだ。

理由は、
面倒くさくなったこと、
先生のギターの中に、『次がはじまる印』が、
あるんじゃないかと思ったこと。

カラオケとか、
既成の音源じゃないから、ここには呼吸があってね、
厳密すぎるテンポがない代わりに、互いに醸し出す空気があってね、
その空気の中に、たくさんのヒントがあるんじゃないかって。
だから、あたしは数を数えるのをやめることにした。
その代わりに、先生のギターを聴くことにしようと思った。

数を数える代わりに、
印を、空気を、嗅ぎとれ。

伴奏の終わる空気、次が始まる空気。

楽譜は、歌の設計図だけれども、
設計図だけで、示されないものも確実にあるから、
先生の奏でる、おしまいとはじまりを感じとれば、
あたしが必死で数える必要なんてない気がしたの。



だからあたし、先生にね、
『数えるのをやめて、伴奏を聴いて、
空気で入ることを試してみて良いですか?』って聞いて、
試しにやってみたんだよ。

そうしたら、これ以上ないくらいうまく入れたよ。
びっくりしたよ。

今まで、一生懸命数えてたのってなんだったんだろうね。
一生懸命数えることで、無理矢理右脳を殺すことで、
『先生のギターが、あたしに伝えることば』を、
どれだけ無視していたのか、気付いたよ。
ことば、ではないのだけど。
うまく言えないのだけど。

それがね、なんだかとても感動的だったの、
あたしにとって。

うまく言えない(2回目)けど、
いますぐ誰かに抱き締めてもらって、
良かったね、良かったねって、
撫でてもらいたいみたいな気持ちだった。

あたしの中の、小さな子どもが、
声をあげて笑ったのを感じたよ。



そういうのってね、きっと、
この歌に限らないし、
そして、『歌だけ』に限らないし、
世界そのものや、人間同士や、
あたしと他の生き物、あたしと画像、あたしと言葉、
他のいろんなものに通じる話かもしれないと思ったよ。

あとね、えとね、
頭で考え過ぎちゃだめなの。
遊ばないと。
自分の、半分くらいは、子どもでいなくちゃね。

逃げないことを覚える前に 

あたしも知らなかったし、
多分、たくさんのひとたちが、
知らないことなんじゃないかと思うんだけど、

逃げないことを覚える前に、
自分をまもるとか、戦うとか、立ち回るとか、
そっちの方が、多分先なの。

何も出来ないのに、自分ひとり守れないのに、
がむしゃらに逃げないことを頑張っても、
自分が壊れていくばっかりだ、と思う。

逆に、まもるとか、戦うとか、立ち回るとか、
そういうのが、少しでもできるようになると、
逃げなくてもだいじょうぶな機会が、
少しずつでも、増えていく。



逃げちゃだめだ、ってものはなくて、

逃げなくちゃダメ、と、
逃げなくてもだいじょうぶ、ってものしかない気がする。
逃げなくてもだいじょうぶなら、
逃げないんだよ、最初から。

逃げたくなんか無いんだ。
何からだって、逃げたくない。
逃げなくても、自分の身体と心を守りきれるなら、
あたしは何からだって逃げたくない。

でもね、まもるとか、戦うとか、立ち回るとか、
そういうのが上手くできなければ、
逃げるしか保てない場合がある。
他にどうしようもない場合がある。

生きるために必要な余裕とか、安心とか、
苦しくないってこととか、健康とか、
そういうのを無くさないために、必要なら、
逃げるしかない場合だってある。



あたしは、戦うとか、自分で自分を守るとかを、
少しだけ、前よりできるようになって、
だから、前より、逃げないといけない機会は減ったと思う。

逃げない=強さなんじゃなくて、
逃げざるを得ない、という機会が減ったってこと。
逃げる以外に、自分を守るための選択をできるように
なってきたってことだ。



自分を守るための方法を、
知れば知るほど、逃げなくても良くなるよね。
いろんなことに対する対処が、自分で取れるようになると、
怖いものも少しずつ減っていくよね。

これから、しばらく、
戦うこととか、いろいろ頑張ってみて、
少しずつ経験を重ねて、上手になって、
怖いものを少しずつ減らしていきたいな。

怖いものが減ったら、今よりずっと自由な気持ちで、
社会に居られる気がするよ。
警戒心に押し潰されなければ、
もっとずっと優しくて、純粋なひとで居られるかな。

あたし、朗らかで無防備なときの自分が好きだよ。
社会でも、できたらそうしていたいよ。


[2019/06/09 15:53] 自分・人間・社会・言葉・コミュニケーション 等 | トラックバック(-) | CM(0)

安心したい気持ちの正体 

安心したい気持ちは、
つまり、
『この人は攻撃してこない、
そしてあたしを蔑ろにしない。』
そう思いたい気持ちなのかもしれないな。

安心できない相手って、
大体そのどちらかをあたしにするひとな気がする。

 



生まれたときから『それをする人』がいて、
あたしは、『それをされること』が当たり前だった。
学校で似たようなことがあっても、
他の誰に似たようなことをされても、
あたしは、『それをされること』が当たり前でしかなかった。

動物のお医者さん、っていうマンガに出てきた、ラジカセ犬。
思い出して探してみたら、ネットに落ちてたから貼っておく。

あたしはたぶん、生まれてはじめて、
『それをするのは許さない』と意思表示した。
それは、パフがラジカセを動かそうとしてみる試みと
多分似ているんだよ。

でもね、『それ』に、いま言葉を当て嵌めようとしたら、
急に気持ち悪くなってきたから、いまはやめておく。

なんでうまくできないんだろ。
『それ』をうまく説明できない。



しばらく感じることが無かった、
人間や社会に対する、怒りとか不信感や、
わからない、怖い、気持ち悪い、助けてって感じが、
身体のなかをぐるぐる回り始めたのを感じてる。

多分掘り起こすのが危険な領域なんだろうな。
でも掘り起こしたいな。

掘り起こしたら、うまくいけばきっと次の段階に行ける。

でも、いまは、身体がつらいや。